糸島・志摩にある「志摩歴史資料館」で、糸島高校120年の歴史を紐解こう!
JR筑肥線には「糸島高校前」という駅があります。糸島高校の近くに住んでいる人や、そこに用がある人はその駅で下りたことがあるでしょう。
しかし、筑前前原駅の近くに住む大学生の筆者にとって、これまで糸島高校とは「電車で通り過ぎる高校」という存在でしかありませんでした。
ところが糸島高校の歴史には、特筆すべき点がいくつもあります!
今回はその120年の歴史の一部を、一緒に紐解いていきましょう。
目次
明治・大正・昭和、そして平成・令和と駆け抜けてきた伝統ある糸島高校。その歴史がいま、明らかになる!
アクセス
「志摩歴史資料館」さんまで、JR筑肥線の筑前前原駅から車で10分です。
筑前前原駅から「船越前原道路」を北上し、「初」の交差点で右折。
イオン糸島ショッピングセンターなどがある敷地を通り過ぎた交差点で左折すると、目的地は右手に見えます。
資料館の専用駐車場が6台分あります。
外観と内観
志摩歴史資料館さんの外観はこんな感じ。
いかにも歴史資料館っぽい佇まいですね(笑)。
さっそく中に入ってみましょう!
内部(1階)の様子はこんな感じになっています。
写真中央に見えるのは昔の消防車。昭和30年代まで実際に使われていたそうです。
職員さんは2人
資料館の中に入ると、職員の稲富さんと内野さんが出迎えてくれました。
稲富さんは福岡市出身の方で、今回の取材では昭和歌謡や古き良きものについての話題で話が合い、なんと4時間もお話ししました!
内野さんは糸島市志摩出身の正真正銘の「志摩っ子」。糸島高校歴史部OGでもあるということでした。
おふたりと少し自己紹介などをした後で、「展示をご覧になってみて、質問などあればおっしゃってください」ということだったので、いったん別れて展示を観に行くことに。
筆者が取材に訪れた1月時点では、創立120周年を迎えた糸島高校の歴史を紹介する企画展示「糸高はじまりの物語」(1階)と、糸島で発掘された出土品などをもとに糸島の歴史を紹介する常設展示(2階)がありました。
企画展示「糸高はじまりの物語」
4時間にわたるお話のすべてを盛り込むことはできないので、ある程度内容を絞ってお伝えすることになりそうです。
今回は1階の企画展示についてご紹介します!
まずは、「県立糸島高等学校」について少し説明を。
県立糸島高等学校の前身は糸島高等女学校と旧制糸島中学校。
糸島高等女学校は1902年、旧制糸島中学校は1922年に開校。戦後、1949年に両校は統合され、県立糸島高等学校として再出発しました。
それでは、糸島高等女学校の展示から順に見ていきましょう!
7泊8日の修学旅行!うらやましすぎる糸島高等女学校
まずは制服の変遷。設立が福岡県内でも比較的早い1902年だったこともあって、初期の制服は和装です。
最近の制服もいいですが、筆者は初期の和装や大正期の制服(下図右上)に特に魅力を感じます。
続いて、糸島の女学生たちの通学について。
驚くべきことに、学校から8キロ以内の女学生の多くは徒歩で通っていたそうです。
「8キロ歩き通すってどんな感じだろう」と思い、筆者も実際に歩いてみました。
結果は、片道だけで疲れて眠くなり、とても往復などはできそうにありませんでした。
当時の女学生たちの健脚には、お手上げです!
そして、部活動。運動部では、庭球部(テニス)と排球部(バレー)は県内有数の強豪だったそう。
文化部でも、美術部が日本画の青山為光(あおやま ためみつ)先生のご指導の下、校内外の展示会で活躍していたようです。
糸島高等女学校の生徒たちに関して、特にうらやましいのは修学旅行です。
昭和12年には、宝塚歌劇団を観に行っています。この当時の宝塚歌劇団の劇を生で見られるなんて、激レアですね!
さらに翌年の昭和13年には、なんと7泊8日の長旅に出かけています。
この年は従来の伊勢や東京だけでなく、「糸島富士」可也山から石材を切り出した鳥居がある日光まで足を伸ばしたそうです。
東京では芝公園内にある女子会館に泊まっており、「夜の銀座に繰り出した」と書いてありました。
何とも自由で、楽しそうな修学旅行ですね!筆者がもしこの時代の女性だったら、ぜひ糸島高等女学校に入りたいものです。
「ウサギ狩り」がユニークな旧制糸島中学校
男子校であるこちらの学校の設立は少し遅く、女学校より20年後の1922年となっています。
もともと1883年に「前原中学校」という学校が設立されていたのですが、男子の教育に対する糸島の人々の目は厳しく、2年で廃校になってしまいます。
その後大正時代に入って議会の活動が盛んになると、糸島に中学校がないために男子の学歴が全国に比べて低いままとなり、そのせいで議会での発言権がないという状態に陥ってしまいます。
こうした事情から「糸島に中学校を設立すべし!」との動きが高まり、1922年ようやく「旧制糸島中学校」が設立されたということです。
この学校の行事で特に面白いなと思ったのが、「ウサギ狩り」。
旧制糸島中学校の毎冬の恒例行事で、勢子(追い立て役)と網方(捕らえ役)が力を合わせて野ウサギを捕まえるというものです。
実に楽しそうですね~!
クタクタになりながら追い続けても、1匹も捕まらないということもあったそうですが、みんなで力を合わせて野ウサギを追いかけたことは、きっといい思い出になることでしょう。
再出発の県立糸島高校
糸島高等女学校と、旧制糸島中学校。それぞれの道をたどって、戦後1949年に「県立糸島高等学校」に統一されて再出発します。
この統合に関しては、より歴史が長い女学校側の教師陣は否定的だったようですが、女学生たちはむしろ男女共学に積極的だったのだそう。
「自主積極」という校訓も、先生と生徒が一緒になって決めました。
糸島高校は、前身から数えると2022年で創立120周年を迎えます。
明治・大正・昭和、そして平成・令和と駆け抜けてきた糸島高校。
今後はどんな活躍を見せてくれるのでしょうか。とっても楽しみです!
原田大六と糸高歴史部
糸島高校には歴史部というものがあり、OBの原田大六(はらだ だいろく)氏と一緒に平原(ひらばる)遺跡の発掘調査に携わるなど数々の活躍をしています。
企画展示「糸高はじまりの物語」の隣には、平原遺跡を発見した原田大六氏や糸高歴史部にまつわる特別展示ブースもありました。
展示を見ていくと、糸島高校には郷土博物館という施設があることがわかりました。こちらは、日本唯一の高校付属博物館なのだとか。
郷土博物館はかなり本格的で、収蔵されている資料や遺物の数量は、志摩歴史資料館さんよりも多いそうです。
糸島市民としては、ぜひ1度訪れてみたい場所です。
企画展示の実施の裏側
ここまで、志摩歴史資料館さんの企画展示「糸高はじまりの物語」と、その隣にあった特別展示について見てきました。
これらの展示を実施するにあたって、資料館では展示の準備をしなければなりません。
今回の展示に関しては、実際に糸島高等女学校や旧制糸島中学校に通っていた人びとにお話を伺う必要があります。
職員の稲富さんによると、当事者の感覚を大事にするために「証言はそのまま使いました」とのこと。
さらに、展示ブースには校旗やアルバム、当時の雑誌など数々の資料が展示されていましたが、その中には糸島高校から借りてきたものもあれば、稲富さんの個人的なコレクションもあるそうです。
女学生の制服の変遷など、どうしても写真が手に入らなかった場合は、稲富さんやその家族が描いた絵を使用したそう。
かなり上手で、お話を聞くまではプロの人にお願いして描いてもらったのかと思っていました!
「原田大六と糸高歴史部」の展示は、志摩っ子職員の内野さんの発案だそうで、文章なども全部内野さんが書いたようです。
当たり前のことですが、資料館や博物館で遺物を見たり資料を読んで歴史ロマンに浸れるのも、職員の皆さんのこうした努力のおかげであることを忘れてはなりません。
企画展示「糸高はじまりの物語」は、2023年3月12日(日)まで開催されています。
志摩歴史資料館に行こう!
こちらの資料館には、今回ご紹介した企画展示以外にも、楽しめる要素がたくさんあります。
1階の奥の方には黒電話やブラウン管のテレビが置いてあり、レトロな空間を満喫でき、レトロ好きの筆者にとっては天国でした。
2階に上がると、糸島の遺跡から発掘された遺物や資料を見ながら糸島の歴史を学べる常設展示ブースが。
人によっては、丸1日ここにいても、退屈しないかもしれません。筆者は実際、気づかないうちに4時間も滞在していました(笑)。
今度の休日は、こちらの志摩歴史資料館さんで歴史のロマンに浸りながら、悠久の時を過ごしてみてはいかがですか?
INFORMATION
店名:
糸島市志摩歴史資料館
住所:
福岡県糸島市志摩初1
電話番号:
092-327-4422
営業時間:
[火~日]10:00〜16:30
定休日:
月曜日
一人当たりの予算:
一般210円、高校生100円、小中学生・65歳以上無料
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