【糸島・三雲、曽根】弥生時代の支石墓と、古墳時代の3古墳を巡る

【糸島・三雲、曽根】弥生時代の支石墓と、古墳時代の3古墳を巡る

豊かな歴史を誇る糸島市には、過去の遺物がたくさん残っています。

弥生時代の支石墓というお墓や、古墳時代の5~6世紀ごろの前方後円墳などが、住宅街の真ん中にあって驚かされます。

今回は「石ケ崎支石墓(いしがさきしせきぼ)」や「銭瓶塚古墳(ぜにがめづかこふん)」などいくつかの史跡を巡りました。

住宅街に国指定史跡があって驚かされる歴史豊かな糸島市の「石ケ崎支石墓」や「銭瓶塚古墳」

石ケ崎支石墓へ

まずは糸島市三雲の「石ケ崎支石墓(いしがさきしせきぼ)」に向かいます。

国道202号バイパスの飯氏(いいじ)交差点から県道56号を南へ。染井の三差路を右折して県道565号に入ります。

井田交差点を直進して進みます。

250メートルほどで東中前という信号が見えてきます。手前に石ケ崎支石墓という案内板が見えますね。ここを左折します。

細い路地を突き当たって左折し、最初の角を右に曲がると石ケ崎支石墓に着きます。

何か、うっそうとしています。説明板がありますね。見てみましょう。

石ケ崎支石墓は弥生時代早期~前期(紀元前4~同2世紀)ごろのものです。

支石墓とは、上に載っているテーブルのような上石を、複数の支石で支える構造をしているお墓です。中国の遼東半島や朝鮮半島、九州西北で見られます。石ケ崎支石墓の上石は2.2メートル×2.1メートルで厚さは30~60センチとのこと。

1949年に地元の考古学者・原田大六さんらによって調査され、周辺からは支石墓のほか、甕棺墓(かめかんぼ)23基、土壙墓(どこうぼ)3基が見つかりました。副葬品として碧玉製管玉(へきぎょくせいくだたま)12個も出土しています。日本の支石墓調査の先駆けだったそうです。

道路から中をうかがいましたが、支石墓は見えませんでした。草木が生い茂っていて入れそうにありません。支石墓の見学は断念しました。

ここで伊都国歴史博物館(いとこくれきしはくぶつかん)の説明書きを確認します。糸島市内の5カ所の支石墓を紹介していました。

紀元前の弥生時代初めごろから、糸島には大きな権力を持った有力者がいたようです。国内でも先進地だったのでしょう。

これは以前紹介した平原遺跡(ひらばるいせき)にあったパネルです。

糸島のそれぞれの支石墓について説明してます。

支石墓や副葬品が示す朝鮮半島との交流が、のちの伊都国の礎となったということです。当時の入江は、だいぶ内陸まで入ってきていたようですね。

 

ワレ塚古墳へ向かう

次は糸島市曽根の「ワレ塚古墳(われづかこふん)」に向かいます。平原遺跡から南に来たところです。案内板があるので右折します。

静かな住宅街の中に、こんもりと小山があります。これがワレ塚古墳です。

古びた説明板を見てみましょう。

2004年度の発掘調査で、全長42メートルの前方後円墳だと分かりました。馬形などの埴輪(はにわ)、須恵器坏(すえきはい)などが出土。5世紀末(6世紀前半とする文献も)の古墳だと考えられています。

ワレ塚古墳は、国指定史跡の曽根遺跡群の中に含まれます。

 

次は銭瓶塚古墳

次は「銭瓶塚古墳(ぜにがめづかこふん)」を訪ねます。こちらも糸島市曽根にあります。

ワレ塚古墳の前の路地から元の道に戻って南に行くと、ほどなくして案内板(下)が見えてきます。道の左手に銭瓶塚古墳があります。

ここも住宅街の中の小高い丘のような古墳です。

古墳とは思えませんね。

案内板を見てみましょう。こちらも国史跡の曽根遺跡群の一部です。

前方後円墳で全長50メートル。馬蹄形(ばていけい)の周壕(しゅうごう)で囲われていたそうです。5世紀後半に築かれた怡土平野(いとへいや)の首長の墓と考えられています。

古墳の上に登ってみました。下の写真は、頂部から道の方を見ています。

頂上には何か標識のようなものも。カササギ(カチガラス)がいましたが、逃げていきました。ここを巣にしているのでしょうか。

下りてきました。ここも国史跡です。身近なところに貴重な古墳があるのですね。

 

最後に狐塚古墳を見る

最後に「狐塚古墳(きつねづかこふん)」を見に行きました。こちらも糸島市曽根です。

先ほどと同じ写真ですが、狐塚古墳の案内板が上に出ています。この先の角を左折してしばらく路地を進むと目的地です。

路地の行き止まりに狐塚古墳はありました。またも住宅街のすぐそばです。

恒例となった説明板を見てみます。墳丘径33メートルの円墳。上から見ると丸い形をしています。前方後円墳ではありません。5世紀前半の古墳と推定されています。

もちろん国史跡の曽根遺跡群に入っています。

平原遺跡にあった説明板に、これまで見てきた3カ所の古墳が紹介されており、時代は古い順に狐塚→銭瓶塚→ワレ塚となっています。私が見てきた順番とは逆でした。

この3古墳と、昭和40年代の宅地開発で消失してしまった先山古墳(さきやまこふん)は、半径300メートルの範囲にあったそうです。

伊都国歴史博物館によると、これらの4古墳は、怡土平野を拠点とした歴代の首長の墓と考えることができるそうです。

 

古墳のおさらい

糸島の古墳のおさらいをしましょう。伊都国歴史博物館のパネルです。大小60もの古墳があるとのこと。

これは平塚遺跡の説明板です。多くの古墳がありますね。

中央の下の方に、ワレ塚、銭瓶塚、狐塚の各古墳が見えます。

下の写真は伊都国歴史博物館に掲示されていた、古墳の時代と場所をまとめた表です。

右から3列目が怡土平野・曽根丘陵の古墳です。

住宅街のすぐ横に、貴重な古墳が存在している…。今回も糸島の歴史の奥深さに感銘を受ける史跡巡りとなりました。

INFORMATION

店名:

石ケ崎支石墓

住所:

糸島市三雲1613ー2

※記事内の情報は記事執筆時点のものです。正確な情報とは異なる可能性がございますので、最新の情報は直接店舗にお問い合わせください。


INFORMATION

店名:

ワレ塚古墳

住所:

糸島市曽根433

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INFORMATION

店名:

銭瓶塚古墳

住所:

糸島市曽根355

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INFORMATION

店名:

狐塚古墳

住所:

糸島市曽根339

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WRITTEN BY
のんちゃん

のんちゃん

現役ライター

ライター歴27年の50代男性。フルマラソン出場15回(うち福岡マラソン4回)。ソフトボールも趣味で、おじさんチームの監督をしている。糸島の野菜や魚介類の直売所や、海鮮丼などが食べられる飲食店が大好き。糸島半島の古墳や遺跡、神社にも興味がある。