糸島市西堂に西堂古賀崎古墳(にしのどうこがさきこふん)があります。井原山から続く標高約60メートルの尾根の先端に築かれた1,400~1,500年前の古墳時代後期(6世紀ごろ)の古墳です。
石室内から装飾大刀や金銅製馬具、ガラス玉製装身具、装飾須恵器、農工具といった豊富な副葬品が見つかっていて、それらを展示している伊都国歴史博物館(いとこくれきしはくぶつかん)で実際に目にすると、圧倒されてしまいます。
知る人ぞ知る貴重な古墳を訪ねてみましょう。
目次
地元の人に大切にされてきた、知る人ぞ知る古墳時代後期の貴重な「西堂古賀崎古墳(にしのどうこがさきこふん)」
伊都国歴史博物館のすぐ近く
西堂古賀崎古墳への道のりを紹介します。福岡市方面から福岡県道49号を西に向かい、西堂の信号に着きました。
ここを右折すると伊都国歴史博物館です。西堂古賀崎古墳へ行くには左に曲がります。
上の写真のような案内板もあります。細い道に入って右手を見ると、すでに古墳が見えています。
道を突き当たると、また案内板が。右に曲がります。
ちょっと分かりにくいのですが、右折後に古墳の方に向かって細い道を進むと、古墳へ上っていく道があります(下の写真)。
着きました。車でも古墳の頂上まで行けます。右手に見えるのはお堂です。
戦争で亡くなった方を弔う忠魂碑(ちゅうこんひ)も立っています。お堂があったり、忠魂碑があったりと、地元の人にとってこの場所が古くから地域のよりどころであり続けていることがうかがわれます。
古墳の石室が見える
古墳の上に立っている案内板を見てみましょう。1957年の納骨堂前広場の造成工事中に偶然発見されたそうです。さっき見たお堂でしょうか。在野の考古学者として知られる原田大六さんが発掘調査をしたとのこと。
最初は丸い円墳と推定されていましたが、今では全長50メートルほどの前方後円墳だった可能性が高いと考えられています。
先ほどの忠魂碑の裏手に回ると、なんと古墳の石室が顔をのぞかせています。
正面に回りました。しめ縄のようなものが張られています。今も信仰の対象なのでしょうか。
右手から見るとゴツゴツした岩が転がっています。どこから運んできて古墳を造ったのでしょうか。現代のような重機はない古墳時代。土木技術のレベルが高かったのでしょうね。
この古墳の開口部は、発見時の工事で石室が壊れた際にできたそうです。横穴式の石室で、本来の入り口をふさぐ閉塞石(へいそくせき)や石室に続く羨道(せんどう)は未調査のままとのこと。
未盗掘の石室内からは、武具や馬具、農工具など多彩な副葬品が発見されていて、質も高いため糸島市の有形文化財に指定されているそうです。出土品を見たくなりました。伊都国歴史博物館に展示しているそうなので向かいましょう。
大刀に見とれてしまう
博物館に着きました。2階の旧館常設展示室1に西堂古賀崎古墳の副葬品が並んでいます。
説明文を読むと、糸島地方の後期古墳では代表的な存在と書いてあります。豊富な副葬品、規模、立地から見て、後に続く小型の前方後円墳とは一線を画するとのこと。すごい古墳なのですね。
副葬品を見ていきましょう。
大刀(たち)です。錆びついていていて、見た目にもずっしりしています。
上の写真で、上にあるのは胡籙(ころく)金具といって、矢を入れて腰に付ける胡籙という道具の金具だそうです。下にあるのは鉄製の矢じりの鉄鏃(てつぞく)です。
金銅製の単龍環頭大刀(たんりゅうかんとうたち)です。博物館の出した「糸島古墳図鑑」によると、柄頭に装着された環の内側に、口を開けて下を出した龍の頭が造形されているそうです。見えますでしょうか。
柄には刻みを入れた銀線が巻かれています。刀身部には鞘のものとみられる木質が残っていたそうで、黒漆を塗った鞘だったと推定されています。刀の長さは約80センチです。
立派な大刀にしばらく見とれてしまいました。説明書きも見てみましょう。
立派な馬具もある
古墳時代、馬は権力者の力を示す「威信財」でした。このため豪華な馬具で飾り立てていたのです。現代の権力者やお金持ちが高級車に乗るようなものでしょうか。
糸島地方の古墳群には、質の高い馬具が多く見られるそうです。埋葬されていた有力首長は、馬の管理集団であった可能性が示唆されているとのこと。
展示品を見てみます。下は雲珠(うず)金具。馬のお尻あたりの装飾品ですね。
下は杏葉(ぎょうよう)。剣菱(けんびし)形をしています。これも馬の尻や胸に吊り下げる装飾です。長さ20センチあまり。いろいろと飾りを付けられた馬は、重く感じたかもしれませんね。
f字形鏡板付轡(くつわ)。馬の口に付けて馬を制御する轡。鏡板には、轡が口から脱落するのを防ぐ機能があります。
農工具と装身具
農工具と装身具も出土しています。
左から刀子(とうす)、袋状鉄斧(てっぷ)、鋤先(すきさき)。農工具を副葬するということは、稲作の重要性を示しているように感じます。多くの米を持っていることは、権力の源泉だったでしょうから。
ガラス小玉は装身具。アクセサリーですね。
金環と碧玉管玉(へきぎょくくだたま)・銀製空玉(うつろだま)。きれいですね。
須恵器と土師器
最後に須恵器(すえき)と土師器(はじき)を見てみましょう。
古墳に土器を副葬する風習は、朝鮮半島から横穴式石室と一緒に導入されたと考えられています。糸島地方では、西堂古賀崎古墳などで須恵器と土師器を供えていたそうです。
いろいろな形の土器があるので写真を見てみてください。
下の写真の右端の装飾須恵器「子持台付広口壷」は質が高いそうです。
西堂古賀崎古墳は、田園地帯の山すそにあって、こんもりとした緑に覆われています。何も知らないと、ただの小山だと思って見過ごしてしまうことでしょう。
しかし、たくさんの副葬品が出土した古墳だということを学んだ後は、見る目が変わりました。この地で人々はどんな歴史を重ねてきたのか。その名残の古墳が、地域のよりどころとして現代でも親しまれている…。またひとつ、糸島の歴史を知ることができました。
INFORMATION
店名:
西堂古賀崎古墳
住所:
糸島市西堂909
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INFORMATION
店名:
伊都国歴史博物館
住所:
糸島市井原916
電話番号:
092-322-7083
営業時間:
9:00~17:00
※入館は16:30まで
定休日:
月曜日
※月曜が祝日の場合は、その翌平日がお休み
一人当たりの予算:
一般220円、高校生110円、小中学生と65歳以上は無料
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