みなさんは「千手観音」をご存じでしょうか?
千の手と千の目をもつ、仏教における菩薩の一人です。一切衆生を救うために、千個の手と目があるそうです。
千手観音「像」には、本当に千個ついているのでしょうか?本当についている像は、日本には数少ないです。
その貴重な像が糸島にありました。
「雷山千如大悲王院(らいざんせんにょじだいひおういん)」には高さ40mの千手観音があり、本当に千の目と手が作られています。
普段は撮影禁止の千手観音像ですが、住職さんから画像データを頂きましたので、皆様にお届けしたいと思います。
また今回は「平和」というキーワードが浮かんでくる取材となりました。この記事を読んで、「平和」について改めて考えるきっかけになれば幸いです。
目次
「雷山千如寺大悲王院(らいざんせんにょじだいひおういん)」の紅葉以外の楽しみ方!撮影禁止の千手観音像を本取材で特別に掲載!
雷山千如寺大悲王院の歴史
雷山の地主神である雷大権現の招きで「清賀上人」が渡来し、開創しました。
その後聖武天皇によって、勅願道場となります。
そして福岡黒田藩主黒田継高公が、現在の寺である大悲王院を建立しました。
雷山千如寺大悲王院とは
千手観音を祀っており、有数の観光スポットとして知られています。
宗派は真言宗であり、日本33観音霊場のひとつで、山門や本堂など多くの重要文化財が保存されており、歴史的な価値も高い寺院です。
高さ40メートルの千手観音像が祀られています。仏像は彫刻家高杉晋作の弟子である木村王洋が制作しました。
「悪を転じて善と化す。邪を転じて生と化す。…」など十転化の功徳があるとされる「サムハラ」(=お守り)のお授け所としても有名です。
美しい自然に囲まれた場所にあり、四季折々の自然の美しさが楽しめます。
参道にはさまざまな石仏や石塔があって、厳かな雰囲気を醸し出していました。
観光客だけではなく、多くの信仰者にとっても心の癒しとなる場所として親しまれています。
千手観音像
豪華絢爛な堂内には、圧倒的な大きさの千手観音像がありました。
住職さんの般若心経を聞きながら見上げる千手観音像は、威厳と愛に満ちていて、拝んでいると世俗の欲望が消えていき、世の中のために役立ちたいという気持ちが増していきました。
この観音様、正式には「木造十一面千手千眼観音立像」と言い、鎌倉時代に造られたものです。
頭部に十一面、本体に四十二本の手、光背に千の手があり、千の慈眼、千の慈手を持つ、衆生済度(しゅじょうさいど=生きているものを救済し、悟りを得させる)の御姿でした。
千手観音像は、国の重要文化財です。明治時代までは国宝に指定されていたという有難い仏像です。
千の手と目はどこにあるのか?というと、菩薩像の後ろにひだひだのようなものがあって、そのひだの1つ1つが、手のひらの形をしています。
そしてその手のひらの中に目が描かれていました。
千如寺では、千手観音様を真下から見上げることができます。
こんなに近くから千手観音様を見上げられるお寺は日本でも数少ないそうです。
祈りというものは、心を崇高にすると思います。尊いお姿を見上げながら祈る時、世界平和の祈りにまで近づくことができました。
平和を願う住職さんとの対話
千手観音像を拝んだ後、和室にて住職さんと対談しました。
現在、ロシアのウクライナ侵攻や、戦争の機運が高まるなか、住職さんは平和への願いを語られていました。
神仏習合(神道と仏教が一緒にされ、広まったこと)のお話の時に、神道は確かに戦争の道具に使われたことを踏まえて、住職さんは「確かに千手観音像も、鎌倉時代の蒙古襲来の時の祈祷用として作らました。それは事実として受けとめています。けれども先日、日本とモンゴルの平和式典に招かれ、私は感慨深さと、嬉しさとが一緒になりました。」と仰っていました。
また、「戦争は絶対にいけない。戦没者への祈祷も行っていますが、戦没された人々、戦争の被害にあわれた人々の声をもっと大事にしてもらいたい。戦争の記憶を薄れさせてはいけない。」と願っていらっしゃいました。
そして戦争の資料を見せて下さり、私のなかにまざまざと戦争の記憶が刻み込まれました。
この悲惨な出来事を、2度と繰り返してはいけない!戦争では何も解決はしない。平和的対話こそがこれからの時代にも必要である。と再認識しました。
千手観音様に祈りを捧げながら、平和の尊さをもう一度思い出しませんか?
今回の取材では、いつの間にか「平和」というキーワードが浮かんできました。
住職さんはどんな方でも、同じように接してくれます。
ぜひ平和を願う住職さんとお話ししながら、千手観音様に「世界平和」の祈りをささげてみてはいかがでしょうか?
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