【糸島・神在東】国内最古の祭具を備えた、北部九州最大級の円墳「釜塚古墳」を探訪!
糸島・神在東にある「釜塚(かまづか)古墳」。
どんな古墳かと思って調べてみると、「5世紀前半に築かれた、北部九州最大級の円墳」とありました。
筆者は古墳を訪れたことがあまりないので、未知の存在への好奇心と歴史的なものへの興味から、すぐに釜塚古墳を訪れることにしました。
さて、いったいどんな景色が待っているのでしょう?
目次
現時点で国内最古の祭具を備えた、北部九州最大級の円墳「釜塚(かまづか)古墳」
アクセス
「釜塚古墳」の最寄り駅は、JR筑肥線の加布里駅となっています。
加布里駅から釜塚古墳までは、歩いて4分。古墳は線路の南側の住宅街の中にあります。
付近まで来ると下の写真のような看板が出てくるので、矢印の指す方向に従って進みましょう。
公園になっている
釜塚古墳は、「釜塚公園」という公園の中にあります。
公園にあるのは、子どもが走り回れる広さの広場と、滑り台とベンチ。
すぐそばが団地になっているので、普段は団地に住んでいる人々が利用しているものと思われます。
しかし筆者がここを訪れたのは早朝だったので、公園内には誰もいませんでした。
正面の様子
釜塚古墳の正面の様子は、こんな感じです。古墳全体が草で覆われ、緑色になっています。
朝焼けの空が美しいですね~。
古墳のそばには、情報板がありました。
情報版の写真を見ると、発掘当時はそこまで草が生えていなかったようです。平成14年の2月と書かれているので、それから21年以上経っていることになります。
古墳をもう1度見てみると、草が伸びているとはいえ比較的きれいな状態であるので、ときどき草刈りなどが行われているのでしょう。
釜塚古墳について
ここで釜塚古墳について、公園内で得た情報などをもとに簡単に整理しておきたいと思います。
釜塚古墳は5世紀前半(古墳時代中期)に築かれた、北部九州最大級の円墳とのこと。
北部九州の中では、かなり大きな古墳みたいですね!
墳丘(丘のような形をした墳墓)は3段に築かれ、築造当時はすり鉢を伏せたような端正な姿だったようです。
釜塚古墳ではこれまでに、棺や鏃(やじり)などが出土しており、1982(昭和57)年には国の史跡に指定されています。
古墳の周囲をめぐる周濠という大きな溝からは、石見(いわみ)型木製品と呼ばれる特殊な木製品が出土したそう。
石見型木製品については、次の章で説明します。
石見型木製品
墳丘の前に立てられた、2本の柱。
「何だろう? 呪術的な雰囲気がすごいな…。」と思っていたら、これが石見型木製品でした。
石見型木製品は全長204.8センチで、古墳を邪霊から護るために墳丘に立てられた祭具とされ、国内の出土例としては最古のものとのこと。
筆者は比較的、霊などに取り憑かれやすい方なのですが、釜塚古墳を訪れたあとに特に何も起こらなかったのは、この石見型木製品のおかげかもしれませんね。
こちらが、右側の石見型木製品。上の方に傷か模様のようなものが入っているのが、目印です。
そしてこちらが、左側の石見木製品。上の方に傷か模様のようなものが入っていないことを除いて、特に右側のものと大きな違いは見られませんね。
左側面の様子
それでは、古墳の側面にまわってみましょう!
先ほどの石見型木製品があった場所を正面とすると、こちらは左側面の様子。
続いて、裏側の方にも行ってみましょう!
裏側へ
こちらは、左側面と裏側の間のあたりの様子。
もう少し歩くと、裏側に辿り着けます。
大きな木が見えました。
溝がありましたが、古墳の築造当時にあった周濠は幅が5〜8メートルだったようなので、こちらはおそらく、最近作られた排水用の溝でしょう。
登ってみよう
裏側に到着しました。
ちょうど日の光に対して陰になっている場所なので、少し薄暗いですね。
墳丘の表面をよく見てみると、登れそうな道がありました。
てっぺんには何があるのでしょうか…。気になるので、登ってみましょう!
草が多いため、早朝は朝露でズボンが濡れてしまいます。夜は夜露で濡れるかもしれません。
いずれにせよ、濡れても良い恰好で訪れることをオススメします!
古墳のてっぺんには
「お母さん、お茶はどこかね」「あんたの目の前にあるよ」
団地から聞こえてくるそんな会話を背中で聞きながら、筆者は墳丘を登りました。少し滑りやすいので、注意して登りましょう。
墳丘のてっぺんには、大きめの石がいくつかありました。
ただの石のようには見えませんね…。
石の近くには、看板も置いてありました。看板にあるQRコードを読み取ると、釜塚古墳の解説動画を観られるようです。
興味のある方はぜひ、ご覧ください!
墳丘を降りよう
こちらは、釜塚古墳の墳丘のてっぺんから見下ろした景色。石見型木製品や公園が一望できます。
どこからでも降りられるのかと思っていたのですが、そうではなかったので、もと来た道を引き返して下まで降りました。
こちらは、古墳を背に石見型木製品や公園を撮った写真。「古墳の視点」を体感してみてください(笑)。
宮地嶽神社のもう1つの入り口を発見
釜塚古墳を出ると、すぐ近くに神社の鳥居があることに気がつきました。
「何神社だろう」と思って近づいてみると、なんと「宮地嶽神社」と書いてあります。
以前、筆者が宮地嶽神社を訪れた際に通った道とは別の道ですが、ここからも神社に行けるようです。
釜塚古墳と宮地嶽神社、両方に興味がある方は、ぜひこの「釜塚古墳経由ルート」で宮地嶽神社を訪れてみてくださいね。
おわりに
ここまで、北部九州最大級の円墳・釜塚古墳についてお伝えしてきましたが、いかがだったでしょうか。
現在は古墳の周りには団地や住宅街が広がっていますが、築造当時(5世紀前半)はどのような風景だったのでしょうか。
歴史的なスポットを訪れると、いつもそんなことを考えてしまいます。
糸島には他にも、さまざまな古墳や史跡があります。ぜひ色々と訪れてみてください!
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