meets vol.1|カラクリワークス株式会社 代表 後原宏行
meets
新企画がスタート!糸島で活躍するクリエイターや事業者など、町にとってポジティブな影響を与える人へのインタビュー企画です。
心ある人の考えや取り組みを発信することで、糸島を今よりもさらに好きになってもらうことを目的としてお話をうかがっていきます。
記念すべき第1回目は、カラクリワークス株式会社の代表、後原宏行さんにインタビューをさせていただきました!
meets vol.1|カラクリワークス 代表 後原宏行
——始めに、糸島で取り組んでいることについて、教えてください。
6年前に糸島市に移住して、まず初めにやったのが「いとシネマ」です。
友達と飲んだ時に6人中5人が映画館を作るのが夢だったことが判明して、じゃあ映画館作ろうよ。という流れでできたのが「いとシネマ」の始まりです。
「いとシネマ」
福岡・糸島市民のために糸島市民が協力して作る「糸島映画祭・いとシネマ」。
映画館のない糸島で、野外の大型スクリーンを使って、思い出に残る映画祭を開催。
——飲み会の場で決まったんですね。
友達と一緒に大画面で映画を観る経験はすごくいい思い出だという話になり、野外映画祭をやろうと。どうせだったらメジャー感のある名前を使って「糸島映画祭いとシネマ」を作ったのが4年前かな。
——いい名前だと思います!
映画という無くなった文化を、もう1回街に持ってくる体験はすごく面白かった。この時に糸島市と少し仲良くなって、翌年に「ショートフィルムフェスティバルを前原商店街でできないか」という話を市から依頼されて、一緒にやったのが2019年ですね。
——文化を作るって、素晴らしいですね。
シャッター商店街になったところを1日だけ、6ヵ所開けてもらったんです。そのうちのひとつが今、僕がやっている郷土文具店「小富士」。大家さんも“一度シャッター開けたら、意外に店を開けるのもいいよね。”というマインドになってくれることがわかって、ちょっとしたきっかけで、意外に貸してくれることも分かりました。
ここで西日本新聞社と糸島市が課題として抽出していた中心市街地活性化のプレイヤーとしてお声がけいただいて、福島、下田と3人で作ったのが「いとしまちカンパニー」。 糸島市、NTT西日本、いとしまちカンパニーの3社連携協定を結んで作ったのが「みんなの」ですね。
「みんなの」
面白い人たちが繋がり、新しいものが生み出されていくオープンコミュニティースペース
——だんだん、現在に近づいてきました。
「みんなの」をなぜ作ったかというと「みんなで対話できる場所が前原にないから、場所を作ろう」という話になって。
そもそも面白い人が住んでいることはもう分かっていたので。ただ、その人たちが交わる場所が分散していたので、まずは場所を作れば、対話の中から勝手に化学反応を起こして誰か実行する人が出てくるんじゃないかって。なので、「みんなの」は存在していればいい。人が集まれる状況が保てればいいんです。
——存在していればいいとは?
福島、下田、僕もそれぞれ自分の会社で事業をやっていて、僕らが収益を求めてしまうと話が変わってきちゃうので、誰も収益の話をしないという約束で、僕らは無給でやっているんです。それは、自分たちがちゃんと事業をしているから。コロナ元年の2020年にオープンし、「みんなの」は2年間存在を保持しています。
——コロナ元年にオープンは大変でしたね。
コロナ元年に始まっているから、イベントは開催しにくかったです。もちろんここで新しい出会いがありましたし、移住者の受け入れも多くなったり「ラヂオいとしま」プロジェクトが立ち上がったりと、色々やっているんですけどね。
でも、中心市街地活性化はもう少し時間がかかる印象があって。「みんなの」は必要な機能だとわかっているけど、前原名店街とか中心市街地が盛り上がることにダイレクトに寄与しているかというと、そうでもない。 まあ、時間がかかるんです。
——活性化には時間がかかりますね。
カンフル剤を町に打ってみるとどうなるかを実験しているんです。
実は僕、全国にある「R不動産」が好きで。なんで好きかというと…変な物件が多いじゃないですか。すぐ住めるわけでもないとか、 良い立地にあるとかじゃなくて、ちょっと変わった物件が多いけど、それって結構クリエイティビティが沸くんですよね。
「R不動産」
新しい視点で不動産を発見し、紹介していくサイト。
僕らみたいな普段そんなことばっかり考えてるやつは、そういう物件を見た段階で「ここであれできる」みたいな気持ちになるんですよ。分かりやすい条件と箱があるとそこにハマる人が出てくるし。
とはいえ、昔からそこに住んでる人や大家さんって別に貸す理由もないし、誰かがそこに行って「貸してください。」とお願いするのって、ハードルが高いことが分かっていたんです。
だからカンフル剤的な意味で僕らが借りて内装をフルスケルトンにして、綺麗な箱にして家賃も安く設定して、「誰か入る人いますか?」と声をかけて実行したのが2021年。
街の人からすると「なんであの髪の長い人は、急に場所を貸してくれなんて言い出すんだろう? 」と思っている。僕は高い意識でやってるというよりは、カンフル剤を街に打ってみるとどうなるかを実験しているような感覚です。
もちろん、良くなる結果を予測してやっています。そこに「みんなの」が並走して保持してるんだけど、その横で中心市街地活性化を狙って商店街でカンフル剤を打ち始めている。カンフル剤で始めたのが「糸島の顔が見える本屋さん」や「虚屯出版」が入っている「MAEBARU BOOKSTACKS」ですね。
——街の人からも信頼され、託されているんですね。
娘の幸せ。すごく願ってる。
——糸島に移住されることになった経緯について教えてください。
経緯は本当にしょうもなくて。僕、「みんなの」から15分の倉庫に住んでいるんです。黒い倉庫に。
——倉庫に住んでいる?
娘が産まれることがわかって。もともと田舎で子どもを育てようと思っていたので、糸島に家を見に行ったら、かっこいい倉庫を見つけて、ここに住みたいと思ったんですよ。
それで、帰りの車で嫁に「住所が糸島になってしまう。恥ずかしいな」って。周りから「話題の糸島に住むのか」って思われるのが恥ずかしくて辞めようとも考えました。だから糸島には、最初はなんの思い入れもなかったんですよ。2年間ほとんど糸島では何もしてないです。
——そうだったんですね!
ここでちょっといい話なんですけど。
今となっては、糸島は僕にとって娘と息子が暮らす街じゃないですか。しかも、比較的に僕の活動って目に見えやすいですよね。友達とか仕事仲間との距離感がすごい近いんです。娘が「なんかお父さんの働き方とか、お父さんの生き方は楽しそう。お友達もいる。よくわかんないけど、お店いっぱい作ったりしてる。その周りの人たちもお店に行ったりとか、なんか毎日笑ってる。」みたいなのって、娘とか息子にとってはいいロールモデルになるじゃないですか。
昼間も適当に帰ってくるし、夜も適当にいなくなったりもするし、でも常になんか楽しそう。自分が作ったお店に娘と息子を連れて来て「お友達がやってるお店なんだよ。」「お友達が作ったジュースだよ。」とか、言ってるのを結構見てる方だと思うんですよ、都市圏の人たちのお父さんに比べて。まあ、それが活動のモチベーションに近いですね。
で、その娘が15歳とか18歳になったときに、娘の周りが変な社会だと困るじゃないですか。せめて娘が社会に出て行くまでには糸島が楽しい街でないと、 僕が一番困るというか、子供たちが苦労すると困るからやっています。
ボランティアをやるのも、もしかしたら将来、娘が誰かに助けてもらえるかもしれない。娘が何かに困っても助けてもらえたりする街になっててほしい。お父さんは困りたくない。娘の幸せをすごく願っているという。
——いいパパですね!
街の印象というよりは、人の印象の方が強い。
——糸島に住む前と、住んでからの印象について教えてください。
移住前はそんなに印象はなかったんですが、ただ、オシャレそうだと思っていました(笑)。
実際に住んでからの印象は、朝起きて気持ちが良い。緑もあるし、海もあるしね。高い建物がなくて、空も広いし、起きた瞬間に幸せな街だなって。幸せなところに住んでいるなっていう印象。
でも、大きいのはやっぱり、いとしまちカンパニーの福島が僕を「いと会」に誘ってくれたことですね。
「いと会」
いとしまちカンパニーの福島さんが主催している糸島好きが集まる交流会。
その場に下田もいたんですよ。今でも付き合いがある人は何人もいるんですけど、街の印象というよりは、人の印象の方がどんどん強くなっていて。
——人の印象ですか。
人の印象の方が強いですよ。 面白い人がすごく多いし。どんどん人が来てるから面白いというか。しかも、すぐ繋がるじゃないですか。何かが起こりやすい街だなという印象ですね。僕の主観としてはそれが街の魅力です。
——糸島が今よりも少しでも良くなるために取り組んでいることはありますか?
課題や解決策を考え始めると、動きを制限されるんですよね。街のことを考えて課題に向き合いすぎると、僕は、あんまり気持ちの良い状態じゃなくなるんです。
ちょっと身勝手なんですが、バカなフリして好きなことをする。僕が「こんなことやりたい」「あんなことやりたい」というのは、恐らくそれが百人だろうと千人だろうと、喜んでくれる人がいるからやりたいと思っているんですよ。僕は自分の勘の方を信じて“僕は善人だから、僕がやりたいと思っていることは人の役に立つ”と。だから、あまり気にせずにやる。
それが何の課題を解決するか分からないけど、脳みそが勝手にギュッと処理してくれたことの方がきっとシンプルだから。だから課題はあんまり見ない。もちろん紐解いていけば当然あるはずですけどね。なんでこんなこと考えているんだろうと。
街の課題は情報として仕入れるし、いろんな話も聞くし、脳みそにはいったん放り込んでおくけど、課題ベースでは考えない。僕、課題を解決する能力はあんまり高くなくて。「この課題を解決してください」といわれても、「お金で解決します」と。それは、僕の役割じゃない。
僕は、したいことをする。点と点が結びついて、脳というスーパーコンピューターがぴょんと高速処理して「あれだ!」となった時にやる。直感を信じた方が早いっていうのはずっと思っていますね。
——「考えるな、感じろ」を体現されていますね。
今後の展開
Phaseを書いた方がわかりやすいですね。
Phase1ー2021年:始める
Phase2ー2022〜2023年:カンフル剤を打ちまくる
Phase3ー2024〜2025年:大きな施設にチャレンジしたい
Phase3以降は、自分もプレイヤーとして活動はしつつも、基本は糸島市民として遊びにきている状態が望ましいです。
2025,6年になると、前原の活動を聞きつけて、違う街の人が「なにやってるんですか?」と来てくれるかもしれません。その時にはスタッフが活動内容を覚えていて、糸島での実験結果を違う街に持って行って「すごくいいカンフル剤を持ってるので、1本打ちますか?」って(笑) 。
個人的なフェーズが終わった後も、社会的な役割としての実験は継続ですね。
——今後の実験活動も追わせていただきます。本日はありがとうございました!