meets vol.4|DOUBLE=DOUBLE FURNITURE 酒井 航
meets
糸島で活躍するクリエイターや事業者など、町にとってポジティブな影響を与える人へのインタビュー企画です。
心ある人の考えや取り組みを発信することで、糸島を今よりもさらに好きになってもらうことを目的としてお話をうかがっていきます。
第4回目は、自身の工房およびブランドである「DOUBLE=DOUBLE FURNITURE(ダブルダブルファニチャー)」の木工家 酒井 航(さかい わたる)さんにインタビュー。
木工家となりブランドを立ち上げるまでの経緯や、意欲的に取り組む山の環境問題などについてお話していただきました。
meets vol.4|DOUBLE=DOUBLE FURNITURE 酒井 航
———木工に興味を持ったきっかけを教えてください。
大学で建築を学んだことがきっかけです。有名な建築家は自分の建物物に対して家具もデザインするので、家具についても学ぶ機会が多くなりました。
でも、建築は図面上で議論してモノができていくことや、スケール感が大きすぎて僕にはあいませんでした。
僕、建築については落ちこぼれだったんですよ。(笑)
では「将来、何になるのか?」と考えたときに、自分の生活に近く、全てを自分の手で完結できる“家具”に興味を持ち始めて。また、幼少期に工作が好きだったことや、アメリカの家具デザイナー ジョージ・ナカシマの影響も大きいです。
「家具をつくりたい」という思いから、素材は何でもよくて。鉄よりも木であれば道具を使い自分できると考え、最終的に木を選びました。
ただ、道は決めたけれど、そのまま大学を卒業してサラリーマンになる自分がイメージできず、3年生の終わりに休学しカナダに1年間ワーキングホリデーに。
当時は20歳。ここで出会った人たちや貴重な経験のおかげで「モノをつくる職人」になろうと決めて帰国しました。
帰国後は、4年生に戻り卒業設計を残すのみ。建築学部は普通は建築なのですが、僕は教授にお願いをして家具をつくりました。この時つくったのは木の椅子で、初めての作った木の家具でした。
———どんな風に職人さんの世界に入っていったのですか?
決めたはいいが、その道の入り方がわからない。だから、職人さんを尋ねて直接お話を聞いてまわりました。もう、突撃です。
今思うと失礼なのですが、みなさん快くお話してくださって。
当時、木工の職人になるには、一度就職して退職し、失業保険をもらいながら訓練校に行く。そこで1年間木工の基礎を勉強し、就職してから独立するという流れが一般的でした。
僕も学生ながらハローワークで訓練校行きを希望したのですが、学生なので一度就職することを説得され、訓練校は紹介してもらえず。職人さんに弟子入りも希望するも、経験がないので断られるばかりで。
訓練校もダメ、弟子入りもダメ。もうこの辺でだいぶ心が折れていました。
そんななかで出会ったのが、糸島で工房を営む「工房はーべすと」の黒川さんです。
椅子の図面のアドバイスから木材の購入方法、「木工の勉強をするのであれば産地に行くこと」などもすすめてくれて。今でも本当に感謝しています。
———木工の勉強できる場所って限られていて、少ないんですね。
今でこそ学生から訓練校に行くのが普通のながれですが、僕のころは難しかったです。
木工で有名な岐阜県の飛騨高山にある実践型教育研究機関で卒業後2年間学び、その後、長野県の木工家 谷進一郎さんのところに弟子入り。僕らの業界では重鎮の方です。
弟子のくせに「僕は30歳になる前に独立したいので、4年間と決めてがんばります」と宣言して入れてもらいました。
2年間兄弟子とともに修行、その後、僕が兄弟子になり合計4年。ここを出るのが28歳の時です。
———宣言通りですね。
ただ、谷さんのところを出るタイミングの4年目が2011年の東日本大震災、3.11のタイミングだったので、かなり落胆しました。
独立したいのに希望もなかった。テレビをつけてもACのCMしか流れていない時期でした。
———独立するのであれば糸島と決めていたのですか?
決めてはいませんでしたが、福岡には帰りたかったです。
飛騨高山も長野もそうですが、海がありません。特に好きだったわけじゃないのに、海がないというだけで閉鎖的に感じてしまって。はじめて海の開放感とありがたさに気づきました。
独立へ向け福岡で工房となる物件を探しはじめ、縁があって糸島の物件に決めました。正式に借りたのは2011年6月。
それから機械をいれたりと準備をして、工房およびブランド「DOUBLE=DOUBLE FURNITURE」をスタートさせました。
———ブランド名「DOUBLE=DOUBLE FURNITURE」の名前の由来を教えてください。
僕の下の名前の航(ワタル)WataruのW。木工がWood WorksでWW。頭文字WWWを読み方に変換してDouble=(Double) Doubleにしてロゴにしています。そして、家具とわかるようにfurnitureをつけました。
のちのち異素材も使っていきますが、「自分はいつまでもWood Workerです」という意味を込めています。
———最初からオーダー家具でのスタートですか?
最初は家具屋として独立しました。
当たり前ですが、誰かわからない人に高額な家具をいきなりオーダーする人なんていないですよね。
だから、まず自分を知ってもらうために小物、テーブルウェアから始めました。
展示会など色々な場所に出しやすいのも理由のひとつですが、独立前、自分の結婚式の引き出物をつくった経験が大きくて。
その時は、スプーンとフォークとプレートでパスタセットにして、120セットつくりました。
結婚式の参列者はほぼ同級生。同級生の反応は薄かったものの、同級生の親たちが「こんなにいい引き出物をは初めて」と言ってくれて。その価値をわかってもらえたことが嬉しかったです。
だから、作るのであればテーブルウェアと決めていました。それに、毎日使う食器類は生活の中でもとても大切なアイテムだと思っていて。
特にスプーンは口に入れるものだし、口当たりがいいと嬉しい。
小物のディテールがしっかりしていると家具みたいな大きい物でも、細部までこだわりぬいてくれるだろうと信頼度もあがりますし、僕の意思表示でもあります。
———このスプーンで食べる食事は美味しいそうです。
「口ぬけ」って僕が勝手に言ってますが、口から入れてフッと抜くときの違和感のなさを大切にしています。
その当時、「口ぬけ」のいい木製のものがありませんでした。量産のものは分厚くてモゴモゴするものが多く、せっかくご飯が美味しいのに、違和感があって集中できない。
だから、そこが変われば食はもっと美味しいし、楽しくなるだろうと思っていました。
カトラリーは完全に独学で、最初の2年も、のちの4年も一切つくっておらず、ちゃんとつくろうと思ったのが自分の結婚式の引き出物のときでした。
スプーンなんて簡単につくれると思っていたんです!
でも、考えないといけないことが沢山あり思いのほか奥が深い。家具をつくるより難しいんじゃないかと思うぐらいでした。
全部ダイレクトに伝わるから、お客さまの反応の良し悪しもはっきりしています。
気軽にはじめたのに難しくて、逆にハマっちゃって。
それから、木や金属、色々なスプーンを買って使って試しました。それこそエルメスのスプーンも。
金属だからこそ薄くできる金属のカトラリーは、やっぱりとても優秀。「じゃあ、木の良さは…?」と考えると、木の魅力は熱伝導率と軽さなんですよね。
だから金属と木のいいとこどりをして、できるだけ口当たりのよいスプーンをつくろうと思いました。
———使って初めて良さがわかるものを売るのは難しいことですよね。
そこなんです。それで僕は最初の数年はものすごく苦労しました。
木のスプーンを1本2,200円で販売していたのですが、自分がいいと思ってつくったものを「高い」って言われるわけです。
何度も値段を下げようかと悩んだ末、「よさを理解してくれる人が手にとってくれればいい」と思うように。
でも地道に作り続けていたら、今ではおかげさまでカトラリーだけで個展のオファーをいただくようになりました。
家具もオーダーで制作していますが、個展ベースで僕を認識してくださっている方は、家具をつくっていることを知らない方も多いです。
今は、家具屋としてというよりは木工家として動いているのでどちらの認識でもかまわないんですけどね。
「DOUBLE=DOUBLE FURNITURE」の商品は、見た目のインパクトは重視していなくて、フォルムも含めシンプルです。
その理由は、木目の個性を大切にしているから。そこに装飾を入れると、もうひとつの個性になってしまうと思っています。
うちのものを好きになってくれて、数年越しに買い足してくれるお客さまも多いので、その時に個体差がないように同じクオリティを提供したい。
手作業だけど、モノとしては、量産プロダクトみたいな品質をつくりたいと思っていて。ほり目を入れたり、手でやってます感を一切消して、手跡感をゼロにしています。
純粋に使い心地で選んでほしいからです。
同じものをずっとつくり続けるので、コンピューター制御じゃないですが、どこまでその精度をあげれるかと色々工夫してます。
———糸島や九州の木が使われている作品もありますか?
できるだけ九州の材料を使えたらと思い、重箱やお弁当箱は九州の杉を使っています。全部はシフトできないので、少しづつ増やしていく予定です。
最終的には国産材、地元材だけでものをつくれて地産地消ができればいいなと思っています。
材料の話に関わってきますが、木工の仕事に携わっているからこそ、日本の森を循環させていきたいという思いがありTHINNING(シニング)のというイベントの立ち上げメンバーとしても活動しています。
———THINNING(シニング)とその活動について教えてください。
人が集まる楽しいマーケットの場を提供して、山の問題を多くの人に知ってもらいたいという目的を持ったイベントが「THINNING(シニング)」です。
高度経済成長期に国策で日本の木を流通させるために山に杉や檜がたくさん植えられましたが、林業の衰退とともに多くが放置されてしまっていて…。
木は密集して植えると光を求めて上に上に伸びていくので、陽の光が差し込まず土壌が弱くなり、土砂崩れが起こります。
だから、木は最初に成長を促すため、先ず密集させて植え上へ上へ伸ばしやすい環境を作り、その後、ある程度したら間引いて1本1本の間隔を取る(間伐)ようにして、今度は幹を大きくして行くという工程で木を育てます。
でも、林業の衰退と共に間伐されなくなった森は密集した木により地面に日光が当たらず、根も浅い土砂崩れしやすい森となってしまいます。
その問題を解決するには、また新たに間伐をしていき、森に光を当てて行く必要がありますが。しかし、間伐をするにはその間伐した材料を使う流通が必要にならないと切り出してはこれず…。
THINNINGは、その間伐の事を知って頂くマーケットイベントです。
僕たちの思いに共感してくれてノースフェースやスノーピークをはじめとする多くの出展者の方が、第1回目の開催から集まってくれました。そして今だにずっと出続けてくれてる人たちばかりです。
また、飛騨高山の学校ににいるとき、どんぐりを拾い、自分たちで苗木に育て山へ返すという活動に参加していました。その植樹の際に掲げられていた富山漁港の大漁旗が印象的で。
漁港の人たちはその意識がちゃんとあることが素晴らしいと思っていました。
その時から森と海はつながっていることをとひしひしと感じています。
———酒井さんにとってTHINNINGとは?
僕がものづくりをする軸です。
僕らは本当にボランティア。だけど、やる意味を仲間みんなすごく感じています。
THINNINGの活動に共感してくれた上で、プロダクトを一緒にやりませんか! と声をかけてくれる人たちも増えていて、仕事にもつながってきていますね。
———最後に、これからの糸島はどのような街になって欲しいですか?
糸島は今過渡期かなと感じていて。糸島という名前全面押しの商売は徐々に淘汰されて行くように思います。消費者はちゃんとジャッジされて来ていますし。
畜産農産のように産地として糸島ベースでして行く商売とはまた別で、僕みたいなクラフトにおいて、「糸島」だからと言うモノの見られかたが主軸だと難しくなって来ると思います。
純粋に土地が好きで、空気感が好きで、移住の人たちがここに来てミクスチャーになって。ちゃんとモノを理解してやってくれる人たちがたくさんいれば、面白い街になるのかなっと。
モノが良くて、味がよくて、人がよくて。それが、結果糸島だったっという糸島のあり方がよくて。そのポジションになれればいいなっと僕は思います。
———木製タンブラーでいただいたコーヒーも美味しかったです。本日はありがとうございました!
INFORMATION
店名:
DOUBLE=DOUBLE FURNITURE
住所:
福岡県糸島市志摩芥屋1-1芥屋フラワーセンター内
電話番号:
092-328-2010
営業時間:
11:00~17:00
定休日:
不定休
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