meets vol.2|株式会社 亀六商店 代表 北古賀 昭郎
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糸島で活躍するクリエイターや事業者など、町にとってポジティブな影響を与える人へのインタビュー企画です。
心ある人の考えや取り組みを発信することで、糸島を今よりもさらに好きになってもらうことを目的としてお話をうかがっていきます。
第2回目は、オーガニック食材を使った糸島のジェラート屋「Loiter Market(ロイターマーケット)」代表、 北古賀 昭郎(きたこが あきお)さんにインタビューをさせていただきました!
meets vol.2|株式会社 亀六商店 代表 北古賀 昭郎
――Loiter Marketをオープンするまでの経歴を教えてください。
焼き物で有名な佐賀県伊万里市で生まれ育ちました。
都会に出たくて東京の大学を目指していましたが全滅して福岡の大学に進学。
就職活動は福岡で探して、当時はまだ男性の職業として認知されてない「モノ」や「ファッション」の生活に関わる仕事がしたいという思いがありました。
当時はインターネットがないので電話帳を開いて「モノ」を作るメーカーに応募しようと決めました。
ただ、就職活動は当たり前のことをやってもダメだから、履歴書のフォーマットは自分で作成。
得意なこと、好きなこと、やりたいことの枠を広げ、びっしり書いて応募しました。
そのうち1社から連絡が来て「なんでもやります!」と返事をして入社。
入社して気づいたのは、食器、陶器、ファブリックなど、身の周りのものを0から作るところを見られるので「これ面白い。」と胸を弾ませていました。
しかし、入社1か月経たずして専務が独立することになり、結局専務について行って文具ステイショナリーの会社を設立。6人でスタートして、今では5~6倍の規模の会社に成長しました。
――入社間もなくしてすごい決断ですね。
30歳手前で東京に異動になったんですけど。渋谷、原宿の街は私にとって刺激的だったんですよね。
流行のエッセンスを取り入れていきたいと会社に提案したら「じゃあ商品企画やってみてよ」という話になり営業兼商品企画担当になりました。
まずは、秋葉原でiMacを買って独学で社内に提出する企画デザインを起こすところからスタート。
今ではよく使われる手法ですが、ファッションから素材やグラフィックを取ってきて、文具に転用するというのが当時はなかったので…。流行りの迷彩、アニマル柄、スパンコールを付けると商品が売れたんですよね。
次第に時代の流れは変わっていき、派手なキラキラした感じから都会の人がゆっくり過ごしたい「スローライフ」という言葉が流行りだしました。
40代のときに両親を病で亡くし、使命感で家業の跡継ぎを考え41歳で辞表を提出。
「田舎で何が出来るのか?」と思いつつ、嫁から「福岡にとどまるなら、何でも協力する!」という願いもあり、福岡にとどまることになりました。
――41歳で会社を辞めて独立も思い切った決断ですね。
自分ができることは雑貨を作ること。
「kreis(クライス)」という屋号でシンプルな素材を活かした雑貨業をスタートさせました。
営業先は東京、名古屋、関西。各地に足を運び、全国に物が流れる仕組みを作りました。
ただ、40代半ばになり眉間にしわを寄せて数字とにらめっこしていると、いつまでこの業態で続けていけるのだろうと考える時もあったんですよね。
――独立した後も悩まれることがあったのですね。
糸島の地元イベントに雑貨屋として出店したときに、周りは「塩を作っています。」「醤油を作っています。」とさまざまな業種の方がいて「いらっしゃい、いらっしゃい」と、地元ならではの連帯感とワクワクしてる表情がうらやましく見えたんですよ。
このときに「糸島には素材がたくさんあるな」と思って。今まで扱っていた雑貨の木や皮の素材を食べる物に置き換えられないかなと考え始めました。
口に出来るものなら何でもよかったけど、レストランは経験がないので候補から外して。
「雑貨屋の経験からロスを考えると在庫負担がないもの」「保存が効くもの」…と、消去していくうちに零下の食べもの「アイス」に辿り着きました。
――Loiter Marketの誕生が近くなってきましたね。
ジェラートとの出会いは天神でした。
ジェラートショップに興味本位で入ってみて、驚きました。アイスだと何百円で買えるものが、ジェラートだと500円前後するわけです。
食べた食感はモチモチしているし、果物、野菜とメニューが豊富にあって。定員さんに聞くと「果物、野菜を練り込んで作っているのでこの値段です。」と。
ジェラートのモチモチした食感が今まで経験したことのない驚きだったので、すぐにネットや本でジェラートについて調べました。
年間のアイスの売上、地域、季節。東北や北陸の寒い地域が売れていたりするので気候は関係ないことなどがわかって。
それと、母は亡くなる前にホスピスに入っていたんですけど。
治療が出来ず、食事もできず、熱が出るので、看護師さんが「口に氷を含ませてください。」と言っていた当時のことを思い出して、「あの時、氷じゃなくてアイスだったら、少しでも栄養補給できていたかも。」と思ったんです。
その記憶も重なりジェラートを売ることが決まりました。
――今と昔の経験が重なりジェラートが決まったのですね。
売るものが決まり、次はどうやって売ろうか考え始めました。
施設のテナントに入って商売するイメージはなかったので、糸島の二見ヶ浦で空いている土地を探し回ったけど思うような場所が見つからなくて…。
そんなとき、雑貨の仕事で代官山に行ったときに、駅前にコーヒーの移動販売をみつけて。それを見て素敵な大人達が集まる空間がイメージに合うと思い、移動販売車を探し始めました。
調べていくうちにそのイメージはキッチンカーからキャンピングカーに変わっていきました。
当時、80年代の映画で「バグダッド・カフェ」というのがあって。その映画のシーンで古びたエアストリームが置いてあって、それを目にした瞬間「これこれ!」とイメージが湧いて、自然の中にエアストリームを設置しようと決めました。
日本のキャンピングカー屋さんにサイズと年代を指定して1年がかりで輸入しました。
それを知り合いの内装屋さんと2人で夜な夜な作業したことも、今ではいい思い出です。
――箱が決まったので、次は場所探しですね。
「またいちの塩」社長の平川君に場所を探してもらって、4ヵ所目で今の場所に巡り合えました。
地主さんに「こんな場所で売れると?」と言われながらも承諾を得て場所が決まって。
次に「製造はどうしよう」となりました。
作り方はわからない。マシン本体は650万円と高額。
じゃあ、こちらの素材を使って作ってくれるOEM(=オリジナル製品を製造してくれる業者)を選ぼうと思って。
最初は法人企業に依頼しましたが、1フレーバー作るにもボリュームが必要だったり、月々いくら以上取引をする必要があったりと条件がありました。
そこで法人から個人でやっているお店に切り替えましたが条件が合わず、結局、大手と個人の間の会社にシフト。そこではスムーズに行き、売上も軌道に乗っていきました。
――右往左往とトライした結果ですね。
そしてついに自社で製造することを決めて、筑前前原駅前に「ロイターマーケットラボ」という製造所を作りました。
自社製造によってレシピの幅が増え製造量も調整できるので、ほかの飲食店さんに提供できるようになり、6年前にホームページを開設して通販も開始しました。
ホームページ作成時に意識したテーマは、「日常の中にジェラートを」。
当時ジェラートはまだ特別感があるものだったので、あえてトップページは日常の食卓シーンにしています。それは、サラダに添えていたりパンに挟んだりして、ジェラートを食材のひとつに加えてほしいという想いがあるから。
少しずつホームページで認知され、2019年から始まったふるさと納税をきっかけに全国に広がっていき、そのうちオンライン注文やセレクトショップからも声がかかるようになりました。
――地主さんの心配とは逆に、順調に成長されたのですね。
2022年に、雑貨業の「kreis」とジェラートの「Loiter Market」を統合して「株式会社 亀六商店」を設立しました。
実はこの名前、佐賀で金物屋をしていたじいちゃんの名前なんですよ。
今一度、商売の基本を引き継ごうという想いで「亀六商店」という名前で法人化しました。
「Loiter Market」はイタリアンジェラートなので洋風なイメージありますが、「亀六商店」では落ち着きのある「あんこ」などの和の甘味を展開していくつもりです。「亀六商店」だから、亀のモナカとかね!
――和菓子はまた新たな展開になりそうですね。
――糸島の印象について、教えてください。
海、バーベキュー、サンセットライブなどやはり夏のイメージですね。
冬が弱いという糸島のイメージは、6年前からじわじわと人気が出てきた牡蠣小屋によって徐々に変わり、観光客が訪れるようになりました。
3年前に山ガールがブームになり、自然に触れる女性も増えましたね。
直近では、仕事もプライベートも一緒に楽しみたいという考えの人が増え、その影響で移住者も増えた気がします。しかもそれが、若い世代だけではなく、老若男女まんべんなく。
田舎生活を楽しめる人には糸島は向いていると思います。
――今後、糸島はどう変わっていくと良いと思いますか。
海岸沿いの環境を壊さないように糸島らしさを守っていけたらと思います。
糸島は企業からも注目されている場所なので、新しいお店が続々とオープンしていて。
ただ商売は甘くなく、2021年の8月は大雨や台風の影響で月の半分も営業できませんでした。
最近は観光客の目利きも鋭いので、今後お店は淘汰されていくと思いますが…。ただ、どこのお店も糸島らしさをお店や料理に出していることは素晴らしい。それぞれのお店の成長が糸島の成長になっていると思います。
飲食店におけるSNSの影響は大きいので悩むところもあります。
映えるようにポップな雰囲気にしていくことはお店のコンセプトに反するけど、何も手を加えないと手抜きな感じに見えてしまう。そこのバランスは今のご時世に合わせていく葛藤があります。
――悩まれることもあるのですね。
――ベタな質問ですが、北古賀さんにとって糸島とは。
一番嫌な質問ですね。(笑)
生きやすく、生活しやすくて、仕事しやすい場でチャレンジし甲斐がある場所ですかね。
若くても年取っても色んな生活の喜び、仕事のチャンス、チャレンジしやすい環境が揃っています。
私も、41歳で糸島で独立して今、55歳で「亀六商店」を法人化したので…。まだなんでもできちゃうよ。
そう、やりたいことが実現できちゃうかもしれない。
それにこの街には手伝ってくれる人も多い。自分も立ち上げ当初は周りに手伝ってもらっていたから、同じ状況を見たら自分も手伝ってあげたいなと思っています。
――北古賀さんの協力を得られたら鬼に金棒ですね!インタビューにご協力いただきありがとうございました。