糸島・高祖にある高祖山の中にはその昔、怡土(いと)城という山城がありました。
怡土城は奈良時代に、吉備真備の指揮の下12年の歳月をかけて作られた城です。
1200年以上の時が経った今でも一部の城壁や石塁は残り、また山の中にはいくつかの望楼跡があります。
今回筆者は古代日本の歴史を今に伝える「怡土城跡」を巡る旅に行ってきました。
目次
「怡土(いと)城跡」を巡り、1200年以上前の奈良時代に思いを馳せる
怡土城跡とは
怡土(いと)城跡は国史跡に指定されている奈良時代の山城です。
『続日本紀』には、唐の争乱に備え大宰府防衛の西の拠点とするために、吉備真備の指揮の下、756年から約12年の歳月をかけて完成したことが伝えられています。
怡土城は結局実戦を迎えることなく廃城されましたが、戦国時代に糸島の国人原田氏の重要な軍事拠点「高祖城」として再度利用されました。
現在高祖山の中には、怡土城跡を巡る探訪歩道があります。
今回は上の写真の「大鳥居口」からスタートし、妙立寺、東谷を通って第2~5望楼跡に至ります。
怡土城跡探訪歩道はそこまでですが、今回はそのあと高祖山を下りて「大門口」と石塁にも行ってみたいと思います。
アクセス、所要時間、ルート
それでは怡土城跡へ向かう方法(アクセス)と、怡土城跡を巡る所要時間、ルートなどについて見ていきましょう。
まず怡土城跡に向かうには、主に次の2つの方法があります。
①車で高祖神社まで向かい、そこから歩く
②糸島コミュニティバス(川原線)で「高祖」のバス停まで行き、そこから歩く
①の場合、JR筑肥線の周船寺駅から車で11分で高祖神社に到着。そこから東谷まで歩いて約45分、東谷から第5望楼跡まで歩いて約35分です。
②の場合、周船寺駅から「高祖」までバスで約9分、料金は200円。その後の所要時間は①とほぼ同じです。
①②どちらの場合も、第5望楼跡までの所要時間は90分程度。
第5望楼跡から先については、高祖山を下りて平地を行くルートと、もと来た山道を引き返すルートがあります。
平地を行く場合は徒歩で約35分、タイミングよくバスが来ればバスで3分で高祖まで行けます。
山道を引き返す場合は往路と同程度の時間(約90分)がかかるでしょう。オススメは平地ルートです。
まずは東谷を目指そう
それではこれから、怡土城跡を巡る旅に出かけましょう!
大鳥居口から2分ほど歩いたところに、このような看板があります。「怡土城跡周回歩道」の方向に進みましょう。
まずは東谷という場所を目指して歩いていきます。
大鳥居口付近から東谷までの所要時間は約45分。
東谷までの詳しい紹介は別記事『【糸島・高祖】静かな山中で全身を使って自然を体感しよう!「東谷」』をご覧ください♪
望楼跡を巡る旅へ
東谷に到着したら、今度は第2望楼跡を目指して進みます。ちなみに第1望楼跡は今回のルートから外れているため、訪れていません。今後機会があれば行ってみたいと思います!
東谷から第2望楼まではあっという間で、さらに本道から少し入ったところにあるので見落とさないように注意しましょう。
わりと険しい道もあるので、焦らずに進むことが大切です。
第2望楼跡
山道を進んでいると、このような看板が見えてきます。第2望楼跡まであと50メートル。看板の角度的にも見落としやすいので、気をつけましょう。
第2望楼跡の様子はこんな感じ。かつてはここから地上を見渡せたのでしょうが、今は木がたくさん生えているので見えにくくなっています。
瞑想スポットに最適かもしれませんね。
第3望楼跡
第2望楼跡を楽しんだら、次は第3望楼跡へ進みましょう。高祖山の中にいる間は、ひたすらこのような山道を歩いて行くことになります。
ときどき道に立っている看板の情報から、しっかりと現在の状況を確認していきます。
第3望楼跡に着きました。こちらは第2望楼跡と同じような光景になっています。
第4望楼跡
続いて、第4望楼跡の方へ行ってみましょう。道の途中にこんなオブジェクトがありました。階段でしょうか。おもしろい形をしていますね~。
おもしろい階段を過ぎたあたりから、急に道が狭くなってきました。まるでジャングルのようで、気分は野生動物です(笑)。
その後、ふと木々の間を覗いてみると、こんな景色が見えました。望楼跡よりむしろ、こちらの方が眺めが良いです(笑)。
同じ山道でも、路面や周囲の状況は刻々と変わっていきます。こちらの写真のあたりに来たとき、少し疲れてきたので筆者は10分ほど休憩しました。
山道では明確な「休憩スポット」がない場合も多いですが、適当な場所を見つけてこまめに休むのをオススメします。
休憩を終えた筆者は再び活力を得て、一気に第4望楼跡まで進みました。今度はけっこう広いです。地理上の問題なのか、あるいは時間帯の影響か望楼跡の中ではここが1番明るいなと思いました。
ここなら、子どもも大人も思いきり走り回れそうです♪
緋縅(ひおどし)石
第4望楼跡と第5望楼跡の間には、「緋縅(ひおどし)石」というものがあります。
緋縅石は、九州のクマソ征伐中の神功皇后が奇跡を起こした「染井伝説」に出てくる鎧を干した大岩であると伝えられています。
染井伝説については、別記事『【糸島・大門】清涼な気に満ち、たくましい狛犬が鎮座する「染井神社」には伝説がある!』で紹介しているので、気になる方はそちらも読んでみてくださいね♪
緋縅石はこちらの写真の上の方にある大岩です。
第5望楼跡
ここまで第2、3、4と順に望楼跡を回ってきました。次はいよいよ、最後の第5望楼跡。
第5望楼跡が近づくにつれて、だんだん車の音が聞こえるようになってきます。どうやら、山を下りる時が迫ってきているようです。
山中の鳥の声や風の音、そして地上の車の音とを聴き比べながら歩いていると、あっという間に第5望楼跡に到着。今回は珍しく、ベンチがあります。
さらに珍しいことに、第5望楼跡には遺構の復元模型が設置されていました。付近に詳しい説明板もあったので、ぜひ読んでみてください。
第5望楼跡の近くにあるベンチで休憩していると、木々の間に日の光が差してきました。
写真の上の方に、ハートマークのような光の模様ができています。神秘的ですね…。
高祖山を下りる
さて、これで山中にある怡土城跡はほとんど見尽くしました。
少し名残り惜しいですが、地上に降りていきましょう。
第5望楼跡から先に進んで分岐を左に曲がると、すぐに地上に出られます。
地上に出た先では、歩道がほとんどないので車に気をつけましょう。ここから高祖神社方面に向かう場合は、左に曲がります。ちなみに右に曲がってずっと進むと、周船寺の方につながっています。
筆者がこれから向かう怡土城跡の大門口、石塁も左に曲がって進んだ先にあります。
大門口、石塁
大門口と石塁は車道から少し奥に入った場所にあるので、Googleマップなどで確認しながら進むことをオススメします。
まずはこちらが、怡土城跡・大門口。今は桜の木が植えてあります。春に来たら綺麗でしょう。
続いてこちらが、石塁。怡土城は奈良時代の山城であるためか、戦国時代の石垣などに比べると素朴で粗い印象を受けました。
大門口と石塁を見終わったら、車の方は高祖神社に向かい、バスの方は「高祖」か「大門(おおと)」のバス停に向かうことになります。
バス停は「大門」の方が近いです。あとは次のバスがいつ来るかなどによって、どのバス停にするか判断すると良いでしょう。
おわりに
今回は第2~5望楼跡や大鳥居口、大門口、石塁など怡土城跡を巡るルートをご紹介しましたが、いかがだったでしょうか。
自然を楽しみながら歴史にも触れることができるので、自然や歴史が好きな方には特にオススメです。
ただし怡土城跡はけっこう広範囲にわたっているので、1つ1つ巡るとなるとかなりの時間と体力を必要とします。
時間がかかる分、天気の移り変わりにも注意が必要です。筆者が訪れた日は当初晴れていたのですが、山中にいるあいだに天気が急変し、下山したころから雨が降っていました。
特にひどかったのは石塁を見たあと高祖神社に戻るとき。豪雨のような激しい雨が降り、筆者も他の登山客などもずぶ濡れになりました。
山の付近は天気が変わりやすいとも言われているので、天気予報のチェックはもちろん、もしも雨が降った時に備えて雨具などを持参しておくと安心です。
怡土城跡を巡る際には、万全の準備で臨みましょう♪
※Googleマップには「怡土城跡」の記載はなく、「怡土城址碑」「怡土城 城壁跡」「怡土城第二望楼」といった表記が使われています。そのため、ここでは代表地点として「怡土城址碑」の住所、地図情報を記載しておきます。
INFORMATION
店名:
怡土(いと)城址碑
住所:
福岡県糸島市高祖1412
※記事内の情報は記事執筆時点のものです。正確な情報とは異なる可能性がございますので、最新の情報は直接店舗にお問い合わせください。